18世紀のイギリス でバラッド詩という新しいタイプの詩が生まれ、以来、今日まで独特のバ ラッド模倣詩が生み出されて来ました。当ホームページ「英国バラッド詩アーカイブ」は、バラッド詩研究の基盤を整備するために、製作者が知りうる限りでの バラッド詩を網羅的に蒐集したものであります。

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ジェイムズ・ジョイス (James Joyce, 1882-1941)


アイルランドの小説家。1882年2月2日ダブリンに生まれる。1888年、6歳でイエズス会系の寄宿学校に入るが、92年には父親の失職により退学を余 儀なくされた。1893年、ダブリンにあるイエズス会系のグラマー・スクールであるベルヴェデーレ・カレッジ(Belvedere College) に学費免除で受け入れられる。1898年ダブリンのユニヴァーシティ・コレッジに入学し、ラテン語、イタリア語、フランス語を学ぶ。この 頃、イプセンの新しい劇作品やその他の書評を書いたり、また自らも2作品ほど戯曲を書いたりした(現存してはいない)。

1904年、小説『スティーヴン・ヒーロー』(Stephen Hero) を書き始める(このタイトルで出版されることはなかった)。同年、妻となるゴールウェイ出身のノラ・バーナクル (Nora Barnacle) と出会う。ダブリンでのある1日のことを描いた小説『ユリシーズ』(Ulysses) は、彼女と初めてデートした1904年6月16日を設定としており、今でも「ブルームの日」(“Bloom’s Day”) として記念されている。

1905年、当時はオーストリア・ハンガリー帝国領だったトリエステ (Trieste) に移り、語学教師の職を得る。1907年から12年にかけてダブリン初の映画館設立および短編集『ダブリン市民』(Dubliners, 1914) の出版交渉のために何度もダブリンへ帰省するが、12年6月に出版契約が白紙化すると、その後二度とダブリンに帰ることはなかった。

第 一次世界大戦が勃発して1915年にチューリッヒへ移住。またその後の1920年からはパリで暮らすようになる。エズラ・パウンド (Ezra Pound) や出版社主ハリエット・ショー・ウィーヴァー (Miss Harriet Shaw Weaver) など様々な人々の協力と資金援助を受けて長編小説『若き芸術家の肖像』(A Portrait of the Artist as a Young Man, 1916)、『ユリシーズ』(1922)、『フィネガンズ・ウェイク』(Finnegans Wake, 1939) を出版する。  (N. M.)

原詩(英詩)  
1. The Ballad of Persse O’Reilly