ウィリアム・スーター (William Soutar, 1898-1943)



ス コットランド詩人。1898年4月28日、パース (Perth) の指物職人の親方のひとり息子として生まれる。パース・アカデミーで教育を受け、 1916年から19年まで英国海軍に入隊。海軍従軍中に、当時は治療法がなかった一種の脊椎炎に罹った。除隊後はエディンバラ大学で医学と英文学を学ぶ。 大学卒業の1923年、初の詩集『大学生の拾遺集』(Gleanings by an Undergraduate) を匿名で刊行した。病気の悪化のために仕事にも就けず、1929年までには両足の自由が奪われ、30年11月3日にはパースの実家で寝たきりとなった。しかしスーターは生涯作品を発表し続け、『葛藤』(Conflict, 1931)、子ども向けの初のスコッツ語による詩集『風の中の種』(Seed in the Wind, 1933)、『孤独な道のり』(The Solitary Way, 1934)、『スコッツ語詩集』(Poems in Scots, 1935)、『スコッツ語のなぞなぞ』(Riddles in Scots, 1937)、『暴君の時代に』 (In time of Tyrants, 1939)、『それでも地球は存在する』(But the Earth Abideth, 1943) などの出版物がある。スコッツ語による作品集によって、スーターは20世紀初頭のスコティッシュ・ルネサンスに関わる詩人と位置付けられている。ヘレン・ バーネス・クルックシャンク (Helen Burness Cruickshank) やヒュー・マクダーミッド (Hugh MacDiarmid) などのスコッツ語詩人たちとの交流もあった。アレグザンダー・スコット (Alexander Scott) はスーターの『死にゆく男の日記』(Diaries of a Dying Man)を1954年に編纂出版しているが、その日記はスーターが死期を悟った1943年7月5日から死の前日の10月14日まで綴られたものであり、傑出した日記作家としてのスーターの一面を示している。 (H. N.)

原詩(英詩)  
1. Ballad (“Far in the nicht whan faint the müne”)  
2. The Tryst