トマス・ラブ・ピーコック (Thomas Love Peacock, 1785-1866)
1785 年、ウェイマス (Weymouth) で生まれたイングランドの小説家、詩人。ガラス商人の父親とは離れて暮らしており、幼い頃から母親に育てられ 経済的にも苦しかったため、彼は独学でギリシア語やラテン語、フランス語、イタリア語などを習得した。10代後半に詩集 Palmyra, and Other Poems や The Monks of St. Mark を発表している。1812年にシェリー (P. B. Shelley, 1792-1822) と出会い、親交を結んだ。1819年に東インド会社に入社し、以降は小説を書く一方で社員としても会社に貢献した。
風刺小説 Crotchet Castle (1831)、 Gryll Grange (1861) など多くの小説を書いており、代表作 Nightmare Abbey (1818) はシェリー、コールリッジ (S. T. Coleridge, 1772-1834)、バイロン (George Gordon Byron, 1788-1824) を思わせる著名な文人たちのパーティでの雑談を風刺的につづった小説である。彼の風刺小説はハクスリー (Aldous Huxley) に影響を与えたと言われる。1820年には文学批評 The Four Ages of Poetry を出版し、これに答える形でシェリーは Defence of Poetry (執筆1821年, 出版1840年) を書いた。
彼のバラッド詩 “Bold Robin Hood” と “Robin Hood and the Two Grey Friars” は小説 Maid Marian (1822) に挿入されている。 (M. I.)