ジョン・M・シング (John M. Synge, 1871-1909)


アイルランド文芸復興運動やアベイ座創設に貢献したアイルランドの劇作家、詩人、散文作家。1871年4月16日、ダブリン郊外ラスファーナム (Rathfarnham) にてアングロアイリッシュ系の旧家に生まれる。幼少の頃より病弱で内気であった。

1888 年、ダブリンのトリニティ・カレッジに入学し、アイルランド語、ヘブライ語を学ぶ。またロイヤル・アイリッシュ・アカデミーでピアノやフルー ト、ヴァイオリンを学び、大学卒業後、プロの音楽家になるためドイツへ留学するが、人前で演奏することが苦手なため、音楽をあきらめ文学に転向。ヨーロッ パ各地を放浪し、1895年ソルボンヌ大学へ留学し、フランス文学を学ぶ。パリ滞在中の1896年12月に W・B・イェイツ (W. B. Yeats) と出会い、アラン島へ行って「いまだかつて文学作品に表現されたことのない生活を表現する」ことを勧められる。

1898年に初めてアラン島を訪れたシングは、島の生活にほれ込み、1902年にかけて計5回、毎年アラン島を訪れた。そしてその暮らしを経験し、アイ ルランドの方言を学び、老人たちの語る話に耳を傾けた。この経験をもとにシングは紀行文『アラン島』(Aran Islands; 1901年に完成、1907年出版) や、戯曲『谷間の影の中で』(In the Shadow of the Glen; 1903年10月モルズワース・ホールにて初演)、『海へ騎り行く者たち』(Riders to the Sea; 1904年2月モルズワース・ホールにて初演)、『聖者の泉』(The Well of the Saints; 1905年2月アベイ座にて初演)、『西国の人気男』(The Playboy of the Western World; 1907年1月26日アベイ座にて初演)、『鋳掛屋の婚礼』(The Tinker’s Wedding, 1907) を書いた。シングの作品は、厳しい自然とともに暮らす人々の生活を写実的に描きながらも、それをユーモアたっぷりに、アイルランドの方言を用いながら叙情的に表現している。 (N. M.)

原詩(英詩) 訳詩 
1. Danny 1.  ダニー
2. The ’Mergency Man 2.  取り立て野郎 
3. Patch-Shaneen 3. パッチ・シャニーン